濃い灰色の空に包まれた公園に、ボク以外の姿は見当たらなかった。
 前に訪れたときは、ボクも璃子もひどく憔悴しきっていて、この世の終わりでも迎えたような絶望的な暗さに包まれていた。
 苦い記憶を辿りよせながら、一人ぼっちの空間に浸っていると、璃子の声で現実に引き戻される。
「ごめん、大介。思った以上に、遅くなっちゃって……」
 走ってきたのだろうか。肩が小さく上下する璃子の頬は、ほんのり赤く色づいている。
「いや、大丈夫だよ。あそこにでも座ろうか」
 指さした先にある、ひんやり冷たくなったベンチに腰かける。
「おじさんの体調はどう?」
「だいぶ元気になってきてるよ。ずっとベッドの上っていうのが、もう辛いみたいで、早くお店に戻りたいみたい」
「それはおじさんらしいや」
 おじさんが順調に回復していることに、ボクらは顔を見合わせて笑い合った。
「今月中に退院することになってるし、お店もそれに合わせて開ける予定かな。春からは家や店の手伝いだってするし。これまで通り、きっと大丈夫だよ」
 一つ一つの言葉をかみしめるように、璃子は何度も小さくうなずく。ボクに話すというよりも、まるで自分を納得させているみたいだった。
 しばしの沈黙が流れて、璃子は「なんで私は呼ばれたんだろう」と、頭上に疑問符を浮かべて、首をかしげている。
 ボクは本題に入っていいものか戸惑っていたが、ふと頭のどこか遠いところで、オジサンの「大介、頼む」という優しい声が響いた。
 今まで味わったことのない高揚と緊張が、身体の自由を奪っていく。
 それをムリヤリに振り払って、ボクは重くなった口を開いた。
「卒業してから、璃子が家や店の手伝いをしたら、……東京に行って、シンガーになる夢はどうなっちゃうの?」
 璃子の肩がピクリと震えるようにして動いた。
「その予定だったけど、お父さんが倒れちゃったし、私が側にいてあげないと大変なはずだもん。ここにいても歌えるし、また落ち着いてから考えるよ」
 わざと明るい調子で答えているのが、ありありと伝わってきて、その姿に胸が汲々と苦しくなっていく。
「実は璃子に見てもらいたいものがあるんだ」
 カバンに手を入れると、キャンバスのザラッとした感触が指に当って、それを璃子に差しだす。
「これ、大介が描いたの?」
 ボクがうなずくと、璃子の瞳がじんわり潤いをおびていく。
 ギターを持った璃子を中心に、肩を寄せ合うカップルや商店街に住むおじちゃんやおばちゃん、璃子と仲がいい友達、それにボクと兄さんにおじさんもいて、その人たちの顔には花が咲いたように笑顔が溢れている。
 璃子の歌を聴いて、笑顔になれる人たちがいることを、この絵を通して伝えたかった。
 忘れかけていた歌への想いを、思い出して欲しかった。
「おじさんが倒れて、今も本当に大変なのは分かっている。けど、璃子は東京に行ってシンガーを目指した方がいいと思う。聴いた人に元気を与えたり、やさしい気持ちにさせたり、上手く言えないけど、璃子の歌にはそうゆうパワーがあるんだ。どこかで璃子の歌を待っている人がいて、その人たちにも歌を届けないとダメなんじゃないかな。もちろん、おじさんのことが心配なのは分かるよ。でも、璃子にはシンガーになる夢を諦めないでほしい!」
 冷たかった身体が、ジンジンと熱くて、ボクの声音も感情的になっていく。
 璃子は赤くなった鼻をすすり、目頭をゴシゴシとこすっている。
 ボクの絵が璃子の背中を押せるかは分からない。でも、きっかけぐらいになってくれればいい。
「大介、ありがとう。本当にありがとう」と言って、璃子はしばらく絵を眺めた。